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| ИPKYTCK (イルクーツク)の標識 |
貨物列車は予定のCita駅より300km手前の駅
Carnysevskで停車した。この時午後1時丁度。
私達は4時間ほど待たされて車両を降ろす事が
出来た。ここまでの列車移動は実に1,000km
に及び、二泊三日の列車移動であった。
ここからCitaまで300km、内100kmは砂利道で
埃だらけになりながら走った。
Citaに着いたのは翌日6月12日で、自宅を出発
して4,142kmの移動になる。ここのホテルに入
り、実に一週間ぶりの風呂に入った。
このホテルの一階は安全を保証できない価格の
安いスペースで、目を合わせるだけで物騒なお客
が多い。二階は高いが銃を持った警備員が常駐
している。
私は家族に一週間ぶりのメールを送ったら、家族
は大変心配をしていた様子であった。
この写真の標識は、「イルクーツク」まで1069km
を表す標識だ。日本ではこんな長い距離の標識は
ないだろう。
九州から静岡付近に相当する距離になる。 |
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| ウラン ウデの街 |
チタの街でエンジンオイルを探して買ってきた。
オイル交換はガソリンスタンドでは一切やってくれ
ない。チタを出て道路脇でオイルを換えた。
その日は赤松林でキャンプを張りった。
シベリアでの毎夜のキャンプは心細い。
全く人気のない山中や林の中にテントを張る事に
なるが、シュラフに潜って耳を澄ますと、毎夜のように
高い木の上から「カッコー、カッコー」の鳴き声だけが
聞こえてくる。広い広いシベリアの北の大地の中で
孤独を感じる瞬間だ。
翌日ウラン・ウデの街に着いた。駅前で写真を撮ろう
としたら、人が集まってきた。ここはモンゴル系の住民
が多く、東洋人の顔をしている。
集まってきた人たちも皆モンゴル人の顔だった。
日本人と違ってオープンで、友達みたいに直ぐに話し
かけてきて親しみやすい。 |
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| 海のようなバイカル湖 |
淡水湖では世界最大で、最深の湖がこのバイ
カル湖であり、琵琶湖の50倍の広さだそうだ。
私は湖の畔までおりて、手を洗ってみた。そし
て居合わせた3人の子供達と写真を撮った。
シベリア地方のガソリンは普通で最高95オクタ
ン、田舎では92オクタンしか販売していない。
その為、92を入れると、ハイオクタン仕様のR50
はたちまち力が落ちて、上り坂でノッキングを起
こす。あらかじめタイミングを遅くしていたが、上
り坂ではエンジンの音に注意しながら走った。
バイカル湖の付近は坂が多く、湖の反対側の
高い山にはまだ残雪が残っていた。
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写真は私が泊まったホテル前の路上。
大通りの右側の広場ではバザールがあっていた。
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| 大都市イルクーツク 6月14日到着 |
バイカル湖が過ぎると、間もなくイルクーツク
の街に近づいた。
地図でホテルを探し、小さなホテルに入った。
別のホテルの前で、旅行者らしい自転車に荷物
を積んだ女性がいた。英語で話しかけるとドイツ
人だった。ドイツから自転車でここまで来て、こ
れからモンゴルへ入り、中国に行くと言う。
彼女は安いホテルを探しながら私のホテルへ
も来て、フロントに交渉していた。
ロシアは超大国と言いながらも、シベリアには
乞食が多い。私のホテルの前でゴミ箱をあさっ
ていた人が居たので、私は部屋に入って残り物
の菓子パンを手に取り、彼を追いかけて手渡した。
彼は私に「スパシーバ、マイフレンド!!」と英語を
交えて、真っ黒の手で握手を求めてきた。私は
「マイフレンド」と言ってくれたのが嬉しくて、彼の
手を強く握り替えした。 |
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