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日本へ向かうスイス人夫婦と |
イルクーツクを出ると高速道路並みの道になる。
しかし驚くべき、中央分離帯には牛が入って草を
食んでいる。大きな町以外は、牛馬が自由に歩き
回っていて道路は糞だらけだ。
高速道路並みの道に喜ぶのもつかの間、その直
ぐ延長線の先にはまだ木造の狭い橋が架かって
いた。そして定番の砂利道。
ロシアの道で国外からのバイク旅行者はお互い
に直ぐに分かる。しばらく走った砂利道で、スイス
人夫婦の2台のBMW F650と出会う。彼らは私と
反対方向で、日本迄行くと言う。
既にここまで3ヶ月を要したと言っていた。
お互いの知る道路状況などの情報を交換をした
後、村の子供にシャッターを押してもらった。 |
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4人乗りのウラルサイドカー |
食事の時は必ず、見える場所にR50を止める。
このカフェはこれまでになくきれいな店であった。
私が食事を終えて表に出ると、ウラルサイドカー
に4人乗った家族が来た。
ウラルのエンジンを見ると、何とサイドバルブで
はないか。まだまだこんなバイクや車が、ロシア
はどんどん普通に走っている。だからオクタン価
の低いガソリンでも大丈夫なのだ。
一日道路を走ると、エンコした車を良く見かける。
皆自分たちで車の下に潜ったり、ボンネットを開
けて修理している。広いロシアでは修理道具と
食料は必需品なのだ。 |
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雨上がりのぬかるみで転倒 |
夕方、雨が降りそうになった。私は道路の左右
を見ながら、何かの工場跡地の崩れかけた建物
を見つけた。ロシアにはこういった廃虚の建物を
時々見る。私はここを今夜の宿に決めた。
翌朝、私はこの建物から出て直ぐにこの写真の
ありさまに陥った。夜間の雨で予想外のぬかる
みになっていた。ロシアの土は日本の赤土の様
で、雨によって粘土状になっていた。
重い荷物のため、転倒したらバイクを起こす事
が出来ず、全ての荷物を降ろして再び走る。
しかし赤土が前輪に絡まって回らなくなる。
素手で泥を取り除き、走ると10mで又回らなく
なる。これを繰り返していたらいつ国道まで出ら
れるか分からない。そこで脇の草むらを走ること
にした。草むらは泥が絡むことなくスムーズに
走れた。が、もう少しで草むらの中の沼に落ち込
むところだった。落ち込んだら万事休すだ。
私は再度道路へ戻ろうとハンドルを切ったが、
道路への段差にエンジンがつかえて、後輪が
空転してどうしても上がれない。
私は先の方の道路を時折り通過する車両に向
かって「ヘルプミー」を連発し手を振った。
そして置いてきた荷物を泥だらけになりながら、
何度か往復してその場所まで運んで来た。
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助けてくれた少年 |
しばらくして百頭ほどを率いる牛飼いが遠く
から近づいてきた。私は助けを求めた。
近くまで来たら彼はまだ少年だった。彼の力を
借りて、私のR50は2時間がかりで道路に出る
ことが出来た。それから牛を同じように率いる
もう一人の少年が来た。
私が水溜まりでバイクを素手で洗っていると、
彼らは自分の着ていた上着の裏地を破って、
それを使って水溜まりでバイクを洗うのに1時
間も手伝ってくれた。私は少年達に御礼をして、
予定より3時間遅れて再び西へ向かった。
写真の左の少年は、裏地を破り取った上着を
また普通に着込んで、私に飲みかけのジュー
スをくれた。
私は少年達の行為が嬉しくて溜まらなかった。
今の日本でこんな体験ができるだろうか・・・
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ノボシビルスク駅 6月19日 |
ノボシビルスクの最初のホテルでは断られた。
あまりにも私が汚かったからだ。泥による汚れ
を洗うところもブラシもない。ただ雨に打たれて
自然に泥が落ちるのを待つだけだ。
次のホテルではやっと入れてくれた。
写真はそのホテルから写したノボシビルスクの
駅だ。今日は最高に疲れた。
ここまでの総移動距離は、出発して7,400km
になっていた。
写真の右側方向に私のR50を入れた駐車場が
あり、私は係員にジェスチャーで「私のバイクか
ら目を離さないで欲しい」と伝えた。 |
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