ポーランド入国   7月8日
 道に迷ってやっとポーランドへのアウトバーンへ
上がり、ポーランドの検問所に到着した。まずドイ
ツ側の検査があったが、そのときインターナショナ
ルインシュランス(一般にグリーンカードと呼ばれる
国際保険証)の提示を求められた。私はヨーロッ
パに入ったとき、うっかりこの手続きを忘れていた。
”罰金”が頭をよぎった。とにかく何とかしようと思
い保険には入ったが日本に忘れてきたと言った。
係官は 「オー」 と言って頭を抱えた。私はどうし
ようもないので、車検証のコピーを出し、これが
その保険証のコピーだと言った。係官は「チョット
待て」と言い、建物の中に入った。しばらくして出
てきた係官は、私に「O.K」と言いながらパスポー
トとコピーを返してくれた。 私は心の中で「えっ
本当にいいの?」と思いながら 「danke !」 と言っ
て、急いでポーランド側に入った。
ちなみに、再度ドイツへ入国する際、この国際保
険の手続きをした。1ヶ月間で 21,99ユーロだっ
たが、これは国によって金額が異なるはず。
写真はウラルに乗ったポーランドの青年で、私と
10km位一緒に走って別れた。
アウシュビッツ収容所
 それはチェコとの国境に近いオシフィエンチムと
言う田舎町にあった。村の中を走り、森の中を走り
抜けると、突如としてそれは目の前に姿を現した。
私の想像を遙かに超えた、広大な敷地の中にこの
収容所は有った。
今でも建物がそのまま残り、内部を見ることが出
来た。ユダヤ人を乗せた列車が入って行ったレー
ルが、今でもそのまま外部から中に入っている。
私はバイクを止め、ヘルメットを預けて内部へ入っ
てみた。
収容所の内部   
 門を入ると列車のレールに沿って、ずーっと奥ま
で道が延びており、左右の鉄条網の中に整然と建
物が並ぶが、主に右側の建物は現在基礎だけが
残っていて、その数は数えがたく多い。左側は煉瓦
と木造で作られた建物が今でもそのまま沢山残っ
ている。
左の写真はその一つの内部で、棚に見えるのは
全てベッドであり、狭いところに沢山の人たちが押
し込まれ、連合軍によって発見された時に生き残っ
ていた収容者は、わずかな食料のために餓死寸前
に痩せ細り、それはまさに地獄絵図であったろう。
ここに居た大半の収容者は、頭を剃られ裸にされ、
全てを奪われて、男女問わず老いも子もガス室に
送り込まれた。
私が行った時は近くに誰も居ず、シーンと静まりか
えった内部から、今にも当時の苦しみの叫び声が
聞こえて来そうな気がした。
ガス室?   
 ここには数カ国語の説明があったが、残念ながら
日本語はなかった。この写真の奥の部屋は、多分
ガス室だろうか。

アウシュビッツは、1キロ程離れたところにもう
一カ所有り、ここが収容者の選別場であった。
現在でも沢山残っている二階建ての建物は、虐殺
されたユダヤ人のおびただしい遺留品がそのまま
残されており、すべてが生々しくそこに有った。
遺留品は布に織り込まれる女性の頭髪、靴、義足、
食器などで、それは選別されて山のように積まれて
いた。
各棟にはそれぞれモニュメントが作られ、犠牲者の
写真や当時の収容所の内部をナチスが写した写真
等が所狭しと張られ、戦争の悲惨さを訴えていた。
私はここを半日近く見たが、全てを見るなら一日は
必要だと思った。そんなにここは広大なのだ。